むかし話あれこれ
目の動く大師さん
むかし、菜切に西方寺という寺がありました。その寺の本尊は弘法大師自らが描いたという大師の絵姿でした。
天正11年(1583年)のことです。長曽我部元親が、四国征服をめざして土佐から攻めてきました。その時、土佐軍は抵抗もしない村まで焼き払いました。西方寺も兵火をあびて全焼しましたが、その猛火の中を、本尊の大師の掛け軸が飛び出して、近くの樫の木に、ぶらさがっていました。「火事は風を呼ぶので、きっとその風にあおられて、飛んだにちがいない。」という村人と「いや、お大師さんが、難を避けて逃げられたのだ。」という村人の二つに分かれました。
いずれにしても、本尊だけが残ったので、近くに小さな庵を建てておまつりすることにしました。ところが火事場から飛び出してきたので、掛け軸はすすけて真っ黒です。そこで世話人3名が、この掛け軸をもって高野山に登り、すすぬきを頼みました。引き受けた工人は、「ひと月ばかり預かりたい。」と申しました。
ひと月たって、受け取りに行くと、見違える程きれいにすすぬきはできており、同じ掛け軸が三つ並んでいました。「わたくしどもが、お願いしたのはどれでしょうか。」と尋ねると、工人は不機嫌な表情で「どれでも、すきなものを持って帰りなさい。全部同じものだから。」と申しました。
そういえば、どれもみんな同じ様に見えます。世話人たちは困ってしまいました。「床の間の軸物なら、どれでもいいが、かりにも寺のご本尊さまだから。」と一人の世話人がさも困ったように言いました。
すると、もう一人の世話人が小声で「讃岐の牟礼へお帰りになる大師さまは、どなたでしょうか。」と3本の掛け軸に尋ねると、真中の掛け軸の絵姿が「わしだよ。」と目をくるくる動かして合図しました。
世話人が喜んで「ああ、あなたさまが、西方寺の本尊さまで。」といって、うやうやしくおじきをすると、掛け軸は風もないのにカタカタとゆれました。それを見て工人はさっと顔色を変えてふるえだしました。
弘法大師のご真筆が欲しくて、偽物をふたつも作ったのですが、駄目だったというわけです。やはり悪いことはできないものです。