むかし話あれこれ

無限の鐘

夏の夜は短い、といっても夜明けまでにはまだ時間があり、五剣山の天空には無数の星が輝き、瀬戸の島々は深い眠りに沈んでいる頃のことです。

突然「ゴオン、ゴオン、ゴオン」とまるであたりの静けさに挑戦するかのように、五剣山のふもとの最勝寺(今は廃寺となっている)あたりから鐘の音がひびきわたり、里人たちの夢を破りました。江戸時代の末期を迎えたある夜明けのことでありました。 「鐘がなる。無限の鐘が・・・・・・・誰がつくのやら。大変なことになった。」ゴンゴンと響く鐘の音に里人は老いも若きも恐れおののき、さわぎはまるで津波のように牟礼、大町の浦々へ伝わりました。

この鐘には恐ろしい言い伝えがあるのです。昔、源平合戦の折、戦いに敗れ多くの戦死した平家の武将の霊がこの鐘にこもり、だれひとりとしてこの鐘をつく者はなく「無限の鐘」とも呼ばれ恐れられてきたのです。「鐘をつく者はたちまち巨万の富を得て栄華を極め、人生の幸福がおとずれてくる。だが同時に栄華の後は必ず災難が待って、生きながら無限の地獄が約束される。」

その鐘がついに鳴らされたのです。古びた鐘は星あかりに無気味な光をはなっていました。誰が鐘をついているのか − 鐘楼の石段を一段また一段とふみしめ目の前にへびのようにたれさがっている撞木綱をしっかり握り、折るように目をつぶり、運命の綱に満身の力をこめ、ひとつ、ふたつ、みっつ… 後はもう我を忘れ、その姿は五剣山の峰に住む天狗のように見えました。

それは、最勝寺の寺男、熊吉でした。熊吉は免場の娘さんにいいよったのですが見向きもしてくれず、巨万の富と栄華を夢見て、無限の鐘をついたのでした。そして災難が待っていて自ら地獄へ落ちていったそうです。

人のうわさも75日、その後、里人の日々は変わりなく鐘のうわさもいつのまにか消えました。最勝寺は明治維新の際に廃寺となり、今は白羽神社の社務所が建っている所が最勝寺の跡と言われています・・・・・・